TenPaPaの地

ここはTenPaPaの未開拓地!人知れず、それは増殖し存在を顕わにする…

鶏石【にわとり石】むかしばなし

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愛知県内では、有名な昔話のうちの一つ『にわとり石』!
「豊作生産の神」岩神鶏石に再注目!田籾町の鶏石を紹介

むかしばなし

今からおよそ六〇〇年ほど前のこと、加納歳武治(かのうさいむじ)という武士が戦に負けて、田籾の村にやって来ました。

かれは、武士から百姓になって、この田籾の村で野山を切り開き田 畑を作ろうと、懸命に働きました。やがて、三年もたつとけっこうくらしていけるほど、お米がとれるようになりました。

村人たちは感 心するが、それにつづこうとする者はいませんでした。それは、今以上に野山を切り開き田 畑を作らなくても、それなりにくらしていけたからでした 。

ある日、歳武治が朝早いうちから田に出ると、「コケコッコー、夜が明けたー」「コ ケコッコー、はよ起きよー」と、にわとりの鳴き声がします。どうやら林の方からそれは聞こえ、探してみると、草の中に大きな石があり、たしかにこの石から聞こえてくるようです。

この話は村中に広がりました。村人たちはにわとりの声を聞こうとして早起きをするようになり、にわとりの声を聞きながら働くようになりました。そして、村は豊かになりました。
ところがある日のこと、どことも知れない石屋の夫婦がやってきて、男はこの石をのみで割ろうとし、女は洗濯物をその石の上に干しました。

これ以降、この石はにわとりの声で鳴かなくなったということです。

【『新とよたのむかしばなし ふるさとの51話その1豊田市教育委員会 文化振興課/企画・編集 2009.3 より】

「鶏石」って?

鶏石

【鶏石】

民話『とよたのむかしばなし』にある『にわとり石』に登場する石です。

かつては、「鶏が鳴くように、石が鳴く」とされた伝説の石で、今は鳴かなくなったとされる石です。田籾に実在しています。

左から、地蔵菩薩、不動明王、鶏石

【左から、地蔵菩薩不動明王、鶏石】
  • [鎮座地]愛知県豊田市田籾町
  • [御神体]「鶏石」岩神(恐らく民話の内容から「豊作生産の神」と見なされていたのでしょう。)
  • [仏神]地蔵菩薩不動明王
  • [御神徳]記載はありませんが、今回の取材から考察して、豊作生産の神」ですから、裕福」「勤勉」「開拓」「はじめる」「殖える」などの徳もあります
  • [由緒]写真添付

由来

【鶏石の由来】

駐車場あるの?

出入口

【出入口】

隣に空き地があり、駐車(参拝目的)させて頂けるか分かりませんでしたが、今回参拝時に限り駐車させて頂きました。入り口がとても狭いので、出入りに注意が必要と感じました。

隣の空き地

【隣の空き地】

交通アクセス(マップ)

県道58号飯田街道沿いにあります。

まとめ

別記事【鶏石】の謎~おわりに~と重なるのですが、「鶏石」が鎮座地である「田籾町」にとって、「豊作生産の神」と信仰されて当然のものであることを感じました。

しかし世代が移りかわるうちに、その恩恵が、何処から来ているかも忘れ去られ、この地での信仰が薄れてきたのではと推測できます。歴史をたどれば(民話からも)田籾町の繁栄のかげに、鶏石の存在があったのだと、各々が気づくこともあるでしょうが、勿体無いですよね。もちろんスピルチュアな方も多くなってきましたから、きっと全てが良い方向にいくでしょう。

この記事から、鶏石の岩神さまとしての霊験の効果を、再び発見することに繋がり、神さまとの関係が深まることになれば幸と思っています。

別記事については、こちらから、どうぞ▶︎『【鶏石】の謎~おわりに~』

岩神さまの霊験は素晴らしいですよ。皆さんも是非足を運んでみてください!
以下におすすめの動画を紹介しますね。

お薦めの本とお気に入り動画

この動画がとても気に入ってます。面白くてわかりやすいですよ!是非、ご試聴ください。

にわとり石(むかしばなし) 

叢書名:『新とよたのむかしばなし ふるさとの51話その1

出版年月(p数):2009.3(4p)
著者:豊田市教育委員会 文化振興課/企画・編集
出版者:豊田市教育委員会
コンテンツタイプ:電子書籍(フィックス)

豊田市中央図書館ふるさとアーカイブ

▶︎にわとり石 (新とよたのむかしばなし ふるさとの51話その1)

【映像資料】にわとり石 (動画 )

叢書名:『とよたのむかしばなし

出版年月:1999
著者:豊田市教育委員会/企画
出版者:中日映画社
コンテンツタイプ:動画コンテンツ
再生時間08:25

豊田市中央図書館ふるさとアーカイブ

▶︎【映像資料】にわとり石 (とよたのむかしばなし )

まほろばチャンネルyoutube古事記 3 ~天岩戸~  須佐之男命の追放・誓約・五穀のはじまり

〈ここでは、中盤の天の岩戸のところに登場する「鶏(常世の長鳴鳥)」という神鶏(神の使い)をご紹介します。鶏石の岩神としての顔が、ここで登場する神鶏と似ているのでは?とのせました。皆様はどう思われますでしょうか…〉これについては▶︎【鶏石の謎(おわりに)】を!

youtu.be

散歩 !ぶらぶら〜

豊田市市役所HPに、ウオーキングコースがあったのでご紹介しますね。

歴史と桜道をめぐるコース(保見ケ丘・保見・田籾町エリア・鵜石)

距離:4.6キロメートル

起終点:保見交流館

問合せ:猿投支所(電話 0565-45-1214)

「保見 歴史と桜道をめぐるコース(保見ケ丘・保見・田籾町エリア・鵜石)」パンフレット

ウオーキングを目的とされている方は、豊田市市役所HP《ウオーキング》に駐車場の利用に関するお願い等なども記載されているので、詳しく知りたい方は御覧下さい。

【鶏石】の謎

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田籾の伝承を歩く〜豊かになった本当の理由〜

1. 田籾の民話『鶏石』

愛知県、豊田市の端に「田籾町」という町があります。飯田街道沿いに田園とともに民家が見られる場所には、豊田の昔話には必ず載る『鶏石』という話と、その話の元になった石があります。現地には牛二頭分もある大きな石の周りも整備され、話を伝える案内板などとともに県道脇にたたずんでいます。ここで、この昔話『とよたのむかしばなし』*1 の筋書きを紹介します。

『にわとり石』

今からおよそ六〇〇年ほど前のこと、加納歳武治(かのうさいむじ)という武士が戦に負けて、田籾の村にやって来ました。

かれは、武士から百姓になって、この田籾の村で野山を切り開き田 畑を作ろうと、懸命に働きました。やがて、三年もたつとけっこうくらしていけるほど、お米がとれるようになりました。

村人たちは感心するが、それにつづこうとする者はいませんでした。それは、今以上に野山を切り開き田 畑を作らなくても、それなりにくらしていけたからでした 。

ある日、歳武治が朝早いうちから田に出ると、「コケコッコー、夜が明けたー」「コ ケコッコー、はよ起きよー」と、にわとりの鳴き声がします。どうやら林の方からそれは聞こえ、探してみると、草の中に大きな石があり、たしかにこの石から聞こえてくるようです。

この話は村中に広がりました。村人たちはにわとりの声を聞こうとして早起きをするようになり、にわとりの声を聞きながら働くようになりました。そして、村は豊かになりました。
ところがある日のこと、どことも知れない石屋の夫婦がやってきて、男はこの石をのみで割ろうとし、女は洗濯物をその石の上に干しました。

これ以降、この石はにわとりの声で鳴かなくなったということです。

*1【にわとり石『新とよたのむかしばなし ふるさとの51話その1』豊田市教育委員会 文化振興課/企画・編集 2009.3 より引用】

この『鶏石』という民話は収録されるたびに少しずつ変容しているため、今回調べた『愛知のむかし話』*2とは異なる点がいくつか存在します。 『愛知のむかし話』では、この部落が元々「おもみ」という名前であったこと、加納歳武治がなぜ百姓になったかという背景が伝わっている代わりに、鶏石がなぜ鳴かなくなったのかについては記されていません。しかし収録した本の発行年数や後述する他の資料から、この『愛知のむかし話』に収録された話が元々の話に近いのではないかと考えています。以下『愛知のむかし話』を『とよたのむかしばなし』との相違点を中心に紹介します。

歳武治は足助城主である足助次郎重範(あすけじろうしげのり)の家来でした(重 範は足助氏の歴史の中でも有名で、『太平記』などにも名前が載る*3 )。彼が笠置山の 戦いで敗れ、これを知らせに家来である歳武治が飲まず食わずで足助へ戻る最中、このおもみ部落で倒れてしまいます。それを部落の住人が助け、恩を感じた歳武治は一度足 助への報告を終えた後またおもみに戻り、百姓となって精を出します。こちらの話では鶏 石は一度も鳴く姿を見せず、代わりに「石が鳴いたぞ」という声が噂されるようになります。以降の住人たちの早起きの癖が付くところは同じでです。

*2【『愛知のむかし話』愛知県郷土資料刊行会 編・1973 年 4 月より引用】

*3【『忠臣足助重範と其の一族』(愛知県教育委員会編、1932 年) 国立国会図書館デジタルコレクションにて閲 覧

これだけ話が相違する理由に、歳武治の出身であろう足助の地に似たような民話が残っていることがあげられます。『三河の民話』*4 には、同じ「にわとり石」という題で、舞台が中立の里で起きているものがあります。

2. 足助地区の民話『にわとり石』

中立の里(現在の豊田市中立町、足助町より少し北西部に位置する)では、土地が 痩せており、食べていけるだけの食料もなくて耕すのをあきらめていましたが、例のごとく鶏の声がきこえて、狩るために村人が早起きしだしました。とある日、住人の一人が高蔵連(たかぞうれ。同じ名前の村が昔あったが、地図では足助とかなり距離があるため、関連があるかは不明)の近くまでやってきて一息つこうと腰を下ろしたところ、そのおろそうとした石が鶏の声で鳴くのを聞きます。住人たちはこれは神様のおさとしだとして考えを改め、あきらめずに耕して豊かになりました。あるときこの豊かさ に目をつけた乞食の親子がやってきて、子どものおしめを洗って石の上に干したところ、それから石は鳴かなくなってしまいました。

*4【『日本の民話 65 三河の民話』未來社・寺沢正美 編・1978年4月より引用】

この話を見るに、この『にわとり石』と、田籾の『鶏石』が混じってしまい、田籾の鶏石でも「鶏が鳴くのを実際に見、」「豊かになったところで外から誰かがやってきて醜態を働き、石が鳴かなくなる」話が付け加えられたとされます。逆に考えれば、混じる前は「田籾では鶏が鳴いたと聞いたが実際に鳴いているのを見たものはいないため、そもそも鳴かなくなった原因を語る理由がなかった」ともとれます。鳴かない石はただの石です。しかし この石は足助には実在している証拠を見つけられませんでしたが、田籾にはそれだと言わ れている石が実在しているのです

鶏石(愛知県豊田市田籾町)

【鶏石(愛知県豊田市田籾町)】

3. 巨石としての鶏石

『愛知発 巨石信仰』*5 にもこの鶏石は「岩神」の分類で掲載されており、「岩神」「鶏 石」について以下のように記されています。

岩神はそれ自体が、雨乞いの神、イボ取りの神、豊作生産の神、または神さんが乗ってきた岩などとされるものをいう。(中略)この付近は堆積層のはずだが、なぜか牛が横たわるより大きな岩(花崗岩)である。

*5【『愛知発 巨石信仰』中根洋治 著・愛知磐座研究会・2002 年 8 月 出典】

鶏石が岩神に分類されているのは、恐らく民話の内容から「豊作生産の神」と見なされてのことでしょう。堆積層、というのは岩石化していない砂や泥などが重なったものですが、花崗岩というのは完全に岩です。記述には含まれていませんが、鶏石はどこかから運ばれてきたのではないか、と推測できます

また足助では「足助みかげ」という石が採れる採石場があり、これは花崗岩で出来ています。このことから、「鶏石は足助から運ばれてきたのではないか」と推測しました。この大きな岩をどうやって運んだかは定かではありませんが、この推測で、「足助の近隣、中立には鶏石なるものが存在していたが、それを知らない人物が現れいけないことをしてしまい、鶏石が鳴かなくなった」「足助出身の歳武治はその伝説にあやかり、おもみ部落を耕すために足助から鶏石を持ちだした」「鶏石は中立にある時点で既に鳴く能力を 失っていたため鳴かないが、歳武治が『石が鳴いた』と言いふらしたため部落の住人が早起 きをするようになった」「石を持ちだしたため足助の方には鶏石という名の石は現存しない」と納得することが出来きます。
足助は巨石信仰が多く残る町で、鶏石の元になった石を探してみましたが上手くまとまりませんでした。
一つは秋葉山の石である可能性。全国各地に秋葉山は存在し、またその頂には火伏せの神 を祀るための石の祠や、大きな岩そのものがあることが多いです。これが足助町則定に存在し、 また採石場があるという場所も則定にあります。「秋葉山山頂の石が鶏の声で鳴く」という民話 も遠い福岡の地にあるようです。【みなまたの民話『鬼の歯形石』 熊本県水俣市 HP より閲覧引用
もう一つは豊作をもたらす山の神「飯盛山」の岩である可能性。飯盛山には岩群がいくつ もあり、所在する飯盛山についての記述が『愛知発 巨石信仰』には載っています。

一般的に飯盛山とは、腕に飯を山盛りに盛った形をいう。豊作をもたらす山の神、 即ち田のこもろ山で、山頂に社がよくあるとされる。【『愛知発 巨石信仰』出典】

ではなぜこのおもみに持ち出して田畑を作ったのか。これには決定的な資料は見つけられなかったため推測に過ぎませんが、主に「荘園拡大説」と「田籾霊場説」を提示します。

4. 荘園拡大説

この話の時代は『愛知のむかし話』で歳武治が「笠置山の戦いに負けた」とあることから、 丁度鎌倉と室町の間、建武の新政が敷かれる前くらいだと考えられます。この時代は荘園の所 有関係も非常に流動化したようだったため、田籾もその波に当てられ歳武治がこれを主導
*6 したのではないかと考えました。『愛知県史・別巻』でその類の資料が残っていないか探しましたが、目立ったものは見つかっていません。

*6【『愛知県史・別巻』(第 3 期第 5 章「荘園の推移」、愛知県、1938 年) 国立国会図書館デジタルコレクションにて閲 覧

5. 田籾力場説

田籾という場所は尾張国三河国の境界にまたがる三ヶ峰峠を、三河の方へ下ってきたところにあります。この村はこの鶏石の他にも「強い講座主をするため御嶽社をつくるも、時が経 ち信仰が薄れるとともに悪霊化した」「きつねに何度も化かされて家にたどり着けない」など民話に収録されていない言い伝え(きつねの話は現在も被害が出ている)があり、「現世ならざる力が働く、空間が歪む」などの認識がなされています。*7 歳武治も飲まず食わずだったとはいえこの峠を越えて足助へ帰る途中、おもみの部落で倒れ、そこの住人に助けられています。『愛知のむかし話』では足助からおもみへ戻った理由を「住人たちの恩が忘れられなかったから」としていますが、ここの力場としてのちからを感じて、「力を失った鶏石の復活」を考えたのではないでしょうか。

*7【田籾の言い伝え(御嶽当番の箱に入っている書類、母や祖母、近隣住民の世間話)参考】

6. おわりに

今回のことで、鶏石岩神としての顔を、あらためて思い起こされました。民話の内容から「豊作生産の神」と見なされて良い効果をみれば、信仰されて当然のものでした。

鶏石の岩神としての顔は「豊作生産の神」ですが、「裕福」「勤勉」「開拓」「はじめる」「殖える」などのがあります。鶏石の鎮座地である「田籾町」は、飯田街道を車で向かう中よもや通り過ぎてしまうほどの町ですが、岩神さまの霊験を感じられるかたも多いと思います。

徳を管理されてみえる神様といえば、天照大御神でしょう。太陽神、農耕神、機織神など多様な顔を持ち「斎庭の稲穂の神勅」でも知られるように、「米を作り」を応援されています。

天照大御神主祭神として祀る伊勢神宮の鶏は神鶏とよばれ、神の使いとされていますよね。

鶏石は、「コケコッコー、夜が明けたー」「コ ケコッコー、はよ起きよー」と、村人たちを早起きにして結果、村はさらに豊かになりました。

神代の天の岩戸の神話で、鶏(常世の長鳴鳥)は「カケコー、カケコー …」と、岩戸から外へ天照大御神を誘い出し再び明るい世に戻しました。【神鶏と神馬 - 伊勢市立図書館より引用

鶏石の隣には、お不動さまが祀られてありましたが、長くこの地で祀られていくうちに今のかたちになったのでしょう。もちろん二柱共に霊験あらたかなのは、言うまでも在りません。

この記事を書き終えたあと再び参拝させて頂きました。「我が家が、豊かに栄えますように…」

にわとり石」についての別記事があります。そちらでは、写真や交通アクセスなども載せました。覗いてみて頂ければ幸いです。こちらから、どうぞ▶︎【鶏石 にわとり石 むかしばなし

Toga Shrine Okumiya

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Toga Shrine Okumiya in the fog

Heading to the shrine from the parking lot near the mountaintop

【Heading to the shrine from the parking lot near the mountaintop】

A fantastic world spreads

【A fantastic world spreads】

Ōtorii appears from the fog

【"Ōtorii" appears from the fog】

Entrance to the mysterious sanctuary

【Entrance to the mysterious sanctuary】

The Goshinboku sugi in the fog

【The Goshinboku sugi in the fog】

Ara habaki Shrine

【Ara habaki Shrine】

Rugged stairs

【Rugged stairs】

What kind of shrine is "Toga Shrine Okumiya" (Toyokawa City)?

Toga Shrine Okumiya is located near the top of Hongūsan, which is called "Senko(千古) no Kamiyama(神山)".

Ancient ritual sites (Iwakura 磐座) are scattered around this area, and it is recalled that the god festival has been held since ancient times. From that form of worship, it is considered that the creation of Toga Shrine began here in Hongūsan .

The natural forest near the summit is lined with large trees for nearly a thousand years, and hundreds of types of vegetation flourish in the sanctuary that has been protected since ancient times, making it a natural monument designated by Aichi Prefecture.

【From the parking lot placket sign

Parking lot placket sign

【Parking lot placket sign

Entrance

【Entrance】

Main shrine(御本殿)

【Main shrine(御本殿)】

[Shrine name(神社名)]

Toga Shrine Okumiya(砥鹿神社奧宮),Mikawa Koku Ichinomiya (三河国一宮)
[Location(鎮座地)]

Aichi, Toyokawa, Kaminagayama(上長山)-cho, Hongushita−4

[deity(祭神)]

Ōnamuchi-no-Mikoto (大己貴命)Also known as Ōkuninushi-no-Mikoto(大国主命)

[annual festival(例祭日)]

February 6th

[Special Shinto ritual(特殊神事)]

  • January 6th Hōin(宝印)Festival (Mori mi den Shrineannual festival)

Worshipers is prayed for being healthy without getting sick, and is awarded the secret "Hōin(宝印)stamp" and "Hōin(宝印)sticker".

  • January 15th Kayuurasai(粥占祭)

Agricultural Shinto ritual fortune-telling the abundance of agricultural products and the weather.Since ancient times, it has been called "Otamesh" and "Okudagai", and attendees are awarded Kayu ura.

  • October 14th (Arahaneki Shrine annual festival)

[shrine's history(由緒)]

It is clear from the "Sha-den (社伝)" that the creation of "Hongūsan Toga Shrine Okumiya" was enshrined before "Emperor Monmu (文武天皇)Taihō (大宝 )Year" (before about 1,300 years).

Hongūsan's beautiful mountain view and the forest that covers the entire mountain, which is located at 789.2m above sea level, has long been regarded as a sacred area of Tokai Musou.

It is the Okumiya of Toga Shrine, which is widely respected as the god of breeding and the guardian deity of the country, and was listed as the only "Kokuhei Shosha" in Mikawa Province by the "Kansei (government system)" in 1884.

The god's virtues are shining brightly, blessing disaster relief, traffic safety, etc.

【From shrine's historywriting】

shrine's historywriting

【shrine's historywriting】

There are other gods like this in this shrine

Mori mi den Shrine(守見殿神社)

[deity(祭神)]

Ōnamuchi-no-Mikoto (大己貴命)Nigi mitama(和魂)

[Gosintoku(御神徳)]

The heart becomes rich and clean. Control and protect various plagues and disasters.

[annual festival(宝印祭)]

January 6th / Monthly 6th(Monthly festival月次祭

Mori mi den Shrine(守見殿神社)

【Mori mi den Shrine(守見殿神社)】

Ara habaki Shrine(荒羽々気神社)

[deity(祭神)]

Ōnamuchi-no-Mikoto (大己貴命)Ara mitama(荒魂)

[Gosintoku(御神徳)]

Protects correct courage and physical health (healthy legs)

[annual festival(例祭日)]

October 14th/ Monthly 14th(Monthly festival月次祭

Ara habaki Shrine(荒羽々気神社)

【Ara habaki Shrine(荒羽々気神社)】

Yabashira Shrine(八柱神社)

[deity(祭神)]

Ameno oshihomimi-no-Mikoto(天忍穂耳命)

Ameno hohi-no-Mikoto(天穂日命)
Amatsuhikone-no-Mikoto(天津彦根命)
Ikutsu hikone-no-Mikoto(活津彦根命)
Kumanukusubi-no-Mikoto(熊野櫲樟日命)
Tagokoro hime-no-Mikoto(田心姫命)
Ichikishima hime-no-Mikoto(市杵島姫命)
Tagitsu hime-no-Mikoto(湍津姫命)

[Gosintoku(御神徳)]

Family harmoniousAnd protect the path of dear friendship of Tomo and be guided.

[annual festival(例祭日)]

October 28th/ Monthly 28th(Monthly festival月次祭

*There is also an article about the deity of the eight pillar shrines.If you don't mind, please take a look here.>> 【What kind of god is the god of the eight pillar shrine in the first place? Japanese version

Yabashira Shrine(八柱神社)

【Yabashira Shrine(八柱神社)】

Natural monument (designated by Aichi Prefecture, June 7, 1972) -Shaso(社叢) and Goshinboku(御神木)

Shaso(社叢)

This Shaso is a natural forest that has been protected as a sanctuary since ancient times, and is lined with giant sugi trees.

Shaso (社叢) giant tree of Sugi

【Shaso (社叢) giant tree of Sugi

Goshinboku(御神木)

The Goshinboku sugi, known as "Hongūsan-Tengu-no-yadorigi", has a root circumference of 11 meters, a tree circumference of 6 to 5 meters, and a tree height of about 30 meters, and is about 1,000 years old.

The Goshinboku sugi, known as Hongūsan-Tengu-no-yadorigi,

【The Goshinboku sugi, known as "Hongūsan-Tengu-no-yadorigi", 】

Toga Shrine Okumiya's Shaso (社叢)

【Toga Shrine Okumiya's Shaso (社叢)】

【Quoted from the signboard】

Is there a parking lot?

Enter the parking lot from "Hongusan Skyline".

For those who can walk from the mountain trail (Omotesando) from the trailhead at the foot of the mountain, the "Hongūsan Walking Center" is recommended.

There are also several parking lots near the trailhead. It seems that there are places where you can park conditionally. Preliminary research is required.

Is there a restroom nearby?

Drinking water vending machines, public toilets, and rest areas are installed near the summit of Toga Shrine Okumiya.However, the toilet is available or poorly remembered.

I've used it, but I don't know if it's always available.

We hope that word-of-mouth information will reach you.

What kind of god is " Ō(a)namuchi-no-Mikoto(大己貴命)" in the first place?

"Ō(a)namuchi-no-Mikoto(大己貴命)" is another name for "Ōkuninushi".

Ōkuninushi is a representative god of Kunitsukami that appears in Japanese mythology, and is considered to be the presiding god of Kunitsukami.

A god with many aliases, it is enshrined nationwide and is also the deity of Izumo Taisha and Ōmiwa Shrine.

In the Kojiki, Ōnamuji / Ōkuninushi is the son of the god Ame-no-Fuyukinu (天之冬衣神) and his wife, Sashikuniwakahime (刺国若比売). The thus portrays him as a sixth-generation descendant of the god Susanoo.

After marrying Suseri-hime no Mikoto, the daughter of Susanoo-no-Mikoto, he managed the world in cooperation with Sukuna bi kona, teaching the way of Majinai (禁厭) and medicine,etc.

By enshrining Omononushikami (Omononushikami), we completed the nation-building of "Ashihara no Nakatsu".

However, it is said that the messenger of Amaterasu Omikami from Takamagahara requested the transfer of the country, and after negotiations with dialogue and armed forces, he became the lord of the unseen world (幽世 kakuriyo).

At the time of the transfer of the country, Tianjin God promised to restore the large palace (Izumo Taisha), which was built by Susanoo-no-Mikoto. , The name at this time is also called "Kizuki Okami(杵築大神)".

Has the faces of God of national land development, god of Majinai (禁厭), god of medicine, god of marriage, etc., and is good at Traffic safety, Family luck prospers, elimination of troubles, etc.

It is also admired as "Daikokusama" and is revered as a god of good fortune.

Ōkuninushi - WikipediaQuote(引用)】<<Click here for details

What kind of god is Okuninushi in the first place?Japanese version(引用)Quote】<<Click here if you are interested

Ōkuninushi with many aliases

  • Ōkuninushi-no-kami(大国主神)〜Name after returning from "Ne-no-kuni" (Meaning of "master of a great country")
  • Ōanamuchi / Ōanamuji / Ōnamuji-no-Kami(大穴牟遅神)・Ōnamuchi-no-(大己貴命・大汝命)・於褒婀娜武智・Ōanamochi-no-(大穴持命)・Ōnamochi-no-(大名持神)・Kunitsukuri Ōnamuchi-no-(国作大己貴命)〜Name after birth(Meaning of "great, (Kō ketsu鉱穴)(kijin貴人))
  • Yachihoko-no-(八千矛神)〜Name in the song story with Nunakawa Hime(沼河比売)(Meaning of "many halberds")
  • Ashihara-no-Shikoo(葦原色許男・葦原醜男・葦原志許乎/葦原志挙乎命)〜Name with contempt in "Ne-no-kuni"(The meaning of "an ugly man in a real country on earth")
  • Ōmononushi-no-(三諸神・大物主神)・八戸挂須御諸命/大物主葦原志許〜In "Kojiki", another god、In Nihon Shoki, another name after the transfer of the country(Meaning of "Lord of the Great Spirit")
  • Utsushikunitama-no-(宇都志国玉神)・顕国玉神〜Name after returning from Ne-no-kuni(Meaning of "the (shinrei神霊) spirit of the real country")
  • Ōkunitama-no-(大国魂神) 〜Be equated at various shrinesMeaning of "shinrei (神霊)of a great country")
  • Iwa Ōkami(伊和大神)・国堅大神・占国之神・大神 〜"Iwa Shrine" main god-Name in "Harima no Kuni (播磨国) Fudoki (風土記)"
  • Ame-no-Shita-Tsukurashishi-Ōkami (所造天下大神)〜Honorific title in "Izumonokuni (出雲国) Fudoki (風土記)"(The meaning of "the god who created the land of the earth")
  • 地津主大己貴神Kuni tsukuri ō na muchi no kami(国作大己貴神)〜Norito(祝詞)Name in "Da iko kujin Kinoe ne noshi yu kuji(大国神甲子祝詞)"
  • Kakuriyo-no-Ōkami(幽世大神)〜Norito(祝詞)Name in "Yū meishin go(幽冥神語)"
  • Kakuri goto shiroshimesu ookami(幽冥主宰大神) 〜The meaning of "God who presides over Yū meikai(幽冥界)"
  • Kidzuki no ookami(杵築大神)

Ōkuninushi - WikipediaQuote引用】

Okuninushi's wives and their children

Okuninushi has many wives.There are also many children.The number of children is written as 180 Hashira (柱) in "Kojiki" and 181 Hashira (柱) in "Nihon Shoki".

wife:Suseri-hime(須勢理毘売命)

wife:Takiribime(多紀理毘売命)
Child:Ajisukitakahikonenokami(阿遅鉏高日子根神)
Daughter:Shitateruhime(下照比売)


wife:Kamuyatatehime no mikoto(神屋楯比売命)
Child:Kotoshironushinokami(事代主神)
Daughter:Takateru hime no ookami no mikoto(高照光姫大神命)

wife:Yagamihime(八上比売)
Child:Ki mata no kami(木俣神)

wife:Nunakawahime(沼河比売)
Child:Takeminakatanokami(建御名方神)

wife:To tori no kami(鳥取神)
Child:Tori Narumi no kami(鳥鳴海神)

Ōkuninushi - WikipediaQuote引用】

About Mythology

Speaking of Japanese mythology, "Kojiki" and "Nihonshoki" are famous, but here we will describe "Kojiki".As for Okuninushi, the four episodes in "Kojiki" are famous.

  • The White Hare of Inaba
  • Attempts on Ōnamuji's life(Persecution of the eighty gods・Visit to Ne-no-kuni・Questioning the wife of Okuninushi)
  • Okuninushi's nation-building
  • Ashiharanakakuni(葦原中国)repression

I have omitted these episodes. It's a very interesting episode, so I'm sorry I couldn't tell you, but it's a typical story of "Kojiki", so it's not difficult to find out. I recommend Wikipedia.

Click here if you are interested>>【Ōkuninushi - Wikipedia

It is recommended that you make a request to God after chanting "Oharaenokotoba(大祓詞)" or " Amatsu norito(天津祝詞)" in front of the shrine.
It is said that "spirits dwell" in each sound.
The high vibration caused by this purification effect makes it easier to connect with higher-dimensional beings.
I hope that you will purify the inside and outside and worship in this way.
I dare to recommend this method of worship.
"Oharaenokotoba(大祓詞)" is a sacred word that can purify all "evil, sin, karma" on the earth.
"Amatsu norito(天津祝詞)" is also a short word, but it is a sacred word that can purify "evil, sin, karma". 
It is said that "spirits dwell" in each sound.
It's convenient to memorize.
There is also an article on "Oharaenokotoba(大祓詞) and Amatsu norito(天津祝詞)".
You can move from here.
▶ ︎ Oharaenokotoba(大祓詞)(old) and Amatsu norito(天津祝詞)
"Oharaenokotoba(大祓詞)" and "Amatsu norito(天津祝詞)" are included in "youtube" so that you can purify your daily life.
We recommend that you play the video repeatedly and read it aloud.

Shrine information (transportation access)

[by car]

From the Tomei Expressway Toyokawa IC, take National Highway 151 toward Shinshiro, then take National Highway 301 toward Tsukude and connect to "Hongusan Skyline (free of charge from February 1, 2006)". You can go to the parking lot of Toga Shrine. About 8 minutes on foot from there

[On foot (mountain trail from the foot of the mountain)]

At the foot of the mountain on the south side (Toyokawa City), there is a "Honguyama Walking Center", from which you can climb Omotesando.

  • About 10 minutes by car from the Tomei Expressway Toyokawa IC to "Honmiyayama Walking Center". There are several parking lots besides the walking center.
  • About 20 minutes from Toyohashi Station on the JR Iida Line to Nagayama Station. About 20 minutes on foot from Nagayama Station to "Honguyama Walking Center".
  • From Toyokawa Station on the JR Iida Line, take the Toyokawa City Community Bus bound for "Honmiya no Yu" for 19 minutes and get off at the "Walking Center" bus stop (you can also get on at Toyohashi Station).

本宮山 (岡崎市・豊川市・新城市) - WikipediaQuote引用】

At the end

Hongūsan has long been worshiped as a mountain where gods live and is treated as a sanctuary.

It is one of the few places in the prefecture where anyone can feel that this place is a sanctuary.

The weather in Hongūsan is natural for climbers, but it changes every time you visit.It's almost as if you're being asked whether or not to step into the sanctuary.

At Toga Shrine Okumiya on that day, the fantastic sight of the fog made me feel even more mysterious, and I felt once again that Hongūsan was worshiped as a mountain where God lives.

I recommend you to visit!

I like this video very much. Easy to understand and interesting!Only the Japanese version is available, but I think you can enjoy the video .Please watch it.

[Mahoroba Channel(まほろばチャンネル)] youtube Kojiki 5 ~ Okuninushi ~ Inaba's White Rabbit, Red Boar, Okuninushi's Trials

Ōkuninushi is called by many names and It will appear with a different name each time it overcomes trials.

Here, it appears under the name of Ōnamuchi (大己貴大穴牟遅).There were many brother gods in this Ōnamuchi,

They declined to rule their country and handed over their sovereignty to Ōnamuchi.The reason for this was as follows.

In Inaba no Kuni, there was a princess named Yagamihime (八上比売) who is famous as a beautiful woman.The gods of the brothers all went to Inaba to propose.

Ōnamuchi served as a luggage carrier for the gods of brothers.Along the way, I meet a rabbit that suffers from peeling rawhide.

In the story of the rabbit, he tried to trick the crocodile into crossing the sea in order to cross the sea from Okishima to the mainland, but he was noticed on the way and the rawhide was stripped off.

After that, as the brothers' gods said, I tried to wash it in the sea and then dry it in the wind, but the pain worsened.

Ōnamuchi taught the rabbit how to treat it, and the rabbit recovered from the injury.

With gratitude, I predicted that "Yagamihime would choose Ōnamuchi."

The brothers' gods were furious at being rejected by Yagamihime and attempted to conspire to kill him.

Ōnamuchi is killed twice, but revived by the power of the Mother Goddess.

In order to escape from the gods of the brothers, I headed to the "Ne-no-kuni" where Susanō lives.

Ōnamuchi went through various trials given by Susanō, married Susanō's daughter Suseri-hime, and Ōnamuchi has been renamed to "Ōkuninushi" and "Utsushikunitama -no-Kami".

Ōkuninushi uses Susanoo's weapons to defeat his brother's gods,and became the ruler of “Ashihara no Nakatsu”.

youtu.be

まほろばチャンネル】youtube古事記 5 〜大国主命因幡の白ウサギ、赤い猪、大国主の試練

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本宮山【三河国一宮】砥鹿神社奥宮

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千古の神山~本宮山~その頂上付近に鎮座する砥鹿神社奥宮!

昔より保護された神域の自然林は一千年に近い大木が林立

東海無双の霊域として神聖視された三河国唯一の国幣小社その一社紹介

大鳥居

【大鳥居】

奥宮境内図

【奥宮境内図】

砥鹿神社奧宮 (豊川市)ってどんな神社?

砥鹿神社奥宮は、千古の神山として仰がれる本宮山の頂上付近に鎮座しています。

この地には古代祭祀遺跡(磐座)が点在し古くから神まつりがおこなわれてきたことが想起されます。その信仰形態から砥鹿神社の創 祀はここ本宮山よりはじまったと考察されます。

頂上付近の自然林は一千年に近い大木が林立し、昔より保護された神域には数百種類の草木が繁茂し、愛知県指定天然記念物にされています。【駐車場前立て看板より】

駐車場前立て看板

【駐車場前立て看板】

入口

【入口】

御本殿

【御本殿】

[神社名]三河国一宮 砥鹿神社奧宮
[鎮座地]愛知県豊川市上長山町本宮下4
[御祭神]大己貴命(オオナムチノミコト)別称 大国主命
[例祭日]二月六日

[特殊神事]

  • 一月六日 宝印祭(守見殿神社例祭)無病息災が祈願され、参拝者に秘伝の宝印と宝印符が授与される。
  •  一月十五日 粥占祭(かゆうらさい)農作物の豊区や天候を占う農耕神事で、古くより「オタメシ」「オクダガイ」と言われ、参列者には粥占符が授与される。
  • 十月十四日 荒羽々気神社例祭

[由緒]本宮山砥鹿神社奥宮の創 祀は、文武天皇大宝年間以前より鎮座せられた事は、 社伝に明らかである(約千三百年以前)、海抜七八九、二米に位する、本宮山の秀麗な 山姿と全山を 覆う樹林は、昔より東海無双の霊域として神聖視され、殖産の神、護国救人の守護神として広く尊敬され、明治四年の官制により三河国唯一の国幣小社に列格された、砥鹿神社の奥宮である。大神の御神徳は 弥々輝き、除災招福、交通安全、 等にも広く御神威を垂れ給っている。【由緒書きより】

由緒書き

【由緒書き】

この砥鹿神社には他にもこんな神社が

守見殿神社(もりみでん-)

[御祭神]大己貴命和魂

[御神徳]心豊かに思慮正しく諸疫病と災厄を防除し守護される

[宝印祭]一月六日・毎月六日(月次祭

守見殿神社

【守見殿神社】

荒羽々気神社(あらはばき-)

[御祭神]大己貴命荒魂

[御神徳]正しい勇気と身体健全(健脚)を守護される

[例祭]十月十四日・毎月十四日(月次祭

荒羽々気神社

【荒羽々気神社】

八柱神社(やはしら-)

[御祭神]

天忍穂耳命アメノオシホミミ

天穂日命アメノホヒ
天津彦根命アマツヒコネ
活津彦根イクツヒコネ
熊野櫲樟日命(クマヌクスビ)
田心姫命(タゴコロヒメ)
市杵島姫命イチキシマヒメ
湍津姫命タギツヒメ

[御神徳]家庭の和楽と朋友の親愛の道を守護し善導される

[例祭]十月二十八日・毎月二十八日(月次祭

八柱神社の御祭神についての記事もあります。よろしければ、こちらを覗いて見てください。>>【そもそも八柱神社の神様ってどんな神様なの?読み方は?

八柱神社

八柱神社

天然記念物(愛知県指定、昭和47年6月7日)〜社叢と御神木

社叢

この社叢は、むかしから砥鹿神社の奥宮神域として保護されてきた暖帯自然林で、スギの巨樹が林立しています。

社叢 スギの巨樹

【社叢 スギの巨樹】

御神木

「本宮山天狗の寄木」といわれる御神木のスギは、根周十一メートル、樹周六、五メートル樹高三十メートルほどで、樹齢は約一千年といわれています。

「本宮山天狗の寄木」といわれる御神木のスギ

【「本宮山天狗の寄木」といわれる御神木のスギ】

砥鹿神社奥宮(本宮山)の社叢

【砥鹿神社奥宮(本宮山)の社叢】

【立て札より引用】

駐車場あるの?

  • 本宮山スカイライン』から駐車場に入れます。
  • 山麓登山口より登山道(表参道)から徒歩で行かれる方は、本宮山ウォーキングセンター』が整備されていておススメですが、登山口付近の駐車場もいくつかあります条件付きで駐車できるようなところもあるようです。事前に下調べが必要です。

お手洗いは?

砥鹿神社奥宮山頂付近には、飲料水の自動販売機や公衆トイレ、休憩所が設置されています。がトイレが利用可能状態か記憶に乏しいです。利用したことはありましたが、常時利用可能状態かはわかりません。口コミ情報が皆様のところに届くよう願っています。

そもそも大己貴命とってどんな神様なの?

大己貴命大国主神 オオクニヌシノカミ)は、日本神話に登場する国津神の代表的な神様で、国津神の主宰神とされています。多くの別名を持つ神様で、全国的に祀られており、 出雲大社大神神社の御祭神もされています。

古事記』・『日本書紀』の異伝や『新撰姓氏録』によると、須佐之男六世の孫(『日本書紀』の別の一書では七世の孫)で、父は天之冬衣神(アメノフユキヌノカミ)、母は刺国若比売(サシクニワカヒメ)(『日本書紀』正伝では素戔鳴尊の息子)とされています。

須佐之男命の娘である須勢理毘売命スセリビメノミコト)との婚姻の後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え大物主神(オオモノヌシカミ)を祀ることによって葦原中国国作りを完成させました。

しかし高天原からの天照大御神の使者に国譲りを要請され、対話と武力を交えた交渉の末に幽冥界の主、幽事の主宰者になったとされています

国譲りの際に、須佐之男命から賜って建立した「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を修復してほしいと条件を出したことに天津神が約束したことにより、このときの名を杵築大神(キヅキオオカミ)ともいいます。

国土開拓の神、禁厭(まじない)の神、医薬の神、縁結びの神などの顔も持ち、交通安全・家運隆昌・厄難消除等を得意とされています。また大国様(ダイコクサマ)と慕われ、福徳の神として尊崇されています。

大国主 - Wikipedia引用】

多くの別名を持つ大国主

  • 大国主神〜 根国から帰ってからの名(「偉大な国の主人」の意)
  • 大穴牟遅神(オオアナムジ-)・大己貴命(オオナムチ-)・於褒婀娜武智大穴持命大汝命大名持神国作大己貴命〜誕生後の名(「偉大な鉱穴の貴人」の意)
  • 八千矛神(ヤチホコ-)〜沼河比売との歌物語での名(「多くの矛」の意)
  • 葦原色許男・葦原醜男・葦原志許乎/葦原志挙乎命(アシハラノシコヲ)〜根国での侮蔑を込めた呼称(「地上の現実の国にいる醜い男」の意)
  • 三諸神大物主神(オオモノヌシ-)・八戸挂須御諸命/大物主葦原志許古事記においては別の神、日本書紀においては国譲り後の別名(「偉大な精霊の主」の意)
  • 宇都志国玉神(ウツシクニタマ-)・顕国玉神〜 根国から帰ってからの名(「現実の国の神霊」の意)
  • 大国魂神 〜各地の神社で同一視される(「偉大な国の神霊」の意)
  • 伊和大神国堅大神占国之神・大神 〜伊和神社主神-『播磨国風土記』での呼称
  • 所造天下大神〜『出雲国風土記』における尊称(「地上の国造った神」の意)
  • 地津主大己貴神国作大己貴神(くにつくりおおなむちのかみ)〜祝詞『大国神甲子祝詞』での呼称
  • 幽世大神(カクリヨノオオカミ)〜祝詞『幽冥神語』での呼称
  • 幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)〜「幽冥界を主宰する神」の意
  • 杵築大神(きづき の おおかみ)

大国主 - Wikipedia引用】

色々な女神との間に子供をもうける大国主

大国主は色々な女神との間に多くの子供をもうけており、子供の数は『古事記』には180柱、『日本書紀』には181柱と書かれている。

嫡后:須勢理毘売命

妻:多紀理毘売命
子:阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネノカミ)
娘:下照比売シタテルヒメ


妻:神屋楯比売命カムヤタテヒメノミコト)
子:事代主神コトシロヌシノカミ)
娘:高照光姫大神

妻:八上比売ヤガミヒメ
子:木俣神

妻:沼河比売ヌナカワヒメ
子:建御名方神タケミナカタノカミ)

妻:鳥取
子:鳥鳴海神

大国主 - Wikipedia引用】

この際、参拝しておきたい!大己貴命を祀る神社

里宮 砥鹿神社

砥鹿神社は本宮山の奥宮と、里にて祀る里宮(豊川市一宮町西垣内2)とで二所一体の崇敬を集める神社

岩戸神社

おすすめの神社参拝方法

神前で、「大祓詞」か「天津祝詞」を唱えてから神様に御願い申し上げることをおすすめします。
神様にお話を聞いていただく態度のにも、人により神様の御加護も違いがあるというものです。
極端な話をあげれば、人の世界でいう悪人でも神様に対して畏み畏み接して、自身を浄化されている方のお話は好んで耳を傾けてくださる様に思います。神様目線を想像した極端な話です
出来る範囲ですが、自身を内も外も浄化した状態で望む姿勢に神様は好感を持たれるものと考え、この参拝方法をあえておすすめします。
大祓詞」は、地球上のすべての「悪、罪、カルマ」を浄化することができる神聖な言葉です。
天津祝詞」も、短い言葉ですが、「悪、罪、カルマ」を浄化することができる神聖な言葉です。
一音一音に、「精霊が宿る」といわれていますので、高い浄化効果が期待できます。覚えておくと便利ですよ。

大祓詞(旧)と禊祓詞(天津祝詞

大祓詞天津祝詞の記事もあります。

こちらから移動できます。▶︎ https://tenpapa.hateblo.jp/ 

天津祝詞」と「大祓詞」の動画(youtube)

日々の浄化が出来るよう、「youtube 」に「天津祝詞」と「大祓詞」を、収録しました。
動画を繰り返し流し、音読することを、オススメします。

神社情報(交通アクセス)

[車で]

東名高速道路豊川ICから国道151号を新城方面へ向かい、国道301号に入り作手方面へ向かうと『本宮山スカイライン(2006年2月1日より無料化)』に接続…その道で山頂付近砥鹿神社駐車場まで行けます。そこから徒歩8分ほど

[徒歩で山麓より登山道

南側(豊川市)の山麓には『本宮山ウォーキングセンター』が整備されていて、ここから表参道を登ります

本宮山 (岡崎市・豊川市・新城市) - Wikipedia引用】

まとめ

祝詞の中に『恩頼(みたまのふゆ)』という言葉があります。「神のご加護といった神の力や霊威にふれることによって、その力の恩恵を受ける」 という意味となりますが、言霊的にいうと「御霊(みたま)の殖(ふ)ゆ」 に繋がるようです。

つまり、神様から供給があります時には、私たちの御霊は、殖えるということなのだそうです。

神代の昔、大国主神は、異母兄弟の八十神にいじめを受けた後、命までも狙われます。それは私たちが想像できないほどの苦難でしたが、この後ついに『幸魂・奇魂』の増殖があり、葦原中国の国作りを完成させ、「天の下造らしし大神」と讃えられるほどの功績をあげます。釈迦や世界の偉人、宗教の開祖たちが苦難を乗り越えた際、驚くべきパワーを発揮するのは、ミタマの増殖によるランクアップのためと推測されます。そしてそれは、困難や修行を自分が受け入れ、自分の糧にしようと思った時にはじめて、増殖するそうです。この辺りがポイントで、問題を先送りしたり、逃げたらダメなのでしょうね。むしろミタマが殖えるチャンスを逃しているともいえます。大国主神の神話から、神自身が手本をみせてくれているのだと、わたしは思います。日常生活の中で苦労することが、そのまま修行になるということです。苦難・苦労が蔓延る現世で、努めてミタマを増殖させるということは、時短でランクアップ出来ることなのでしょう。まさに「物事に吉区なし」「禍い転じて福となす」ですね。【「大中臣神道の秘儀と神言」山田雅晴 1997年9月25日(株)たま出版 参考】

大国主神は大変人気がある神様です。日本神話に登場する国津神の代表的な神様なので、やはり日本神話から知って頂きたいですね。この後ご紹介する『まほろばチャンネル(youtube)』さんは、わかりやすくお薦めです。この後にお薦め動画を紹介しますね。

砥鹿神社奥宮に参拝した後はいつもそうなのですが、自身の浄化を実感出来るだけでなく気力が湧いて前向きになっている自分に気づくこともでき、心が満たされます。その後は道の駅に立ち寄り、五平餅やフランクフルトを食べます。砥鹿神社参拝は良いですよ!皆さんも是非足を運んでみてください。

お薦めのお気に入り動画(youtube

この動画がとても気に入ってます。わかりやすくて面白い!聞き流しとしても、いいですよ。是非、ご視聴ください。

まほろばチャンネル】youtube古事記 5 〜大国主命因幡の白ウサギ、赤い猪、大国主の試練

<このお話は、大国主命を語るのに欠かせません!必見ですね…是非!>

youtu.be

まほろばチャンネル】youtube古事記 6 〜国造り〜

スクナビコナ登場!不思議な神様です…>

youtu.be

まほろばチャンネル】youtube古事記 7 〜国譲り〜

<建御雷神のまた強いこと…>

youtu.be

【いぼ塚】が二つ⁉︎

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ここにも伝説が!伊保町のいぼ塚

昔話「いぼ塚…『新とよたのむかしばなし ふるさとの51話その1』にはありませんが、この地域にはいぼ塚が二つあります

いぼ塚に参拝するなら、この二つのいぼ塚に足を運んでみては、いかがでしょう。

ここでは、いぼ娘下半身のいぼを治したとされる下のいぼ塚!をご紹介します。

伊保町のいぼ塚

【伊保町のいぼ塚】

駐車場あるの?

いぼ塚付近に、車をとめられそうなスペースがありました。駐車(参拝目的)させて頂けるか分かりませんでしたが、今回参拝時に限り駐車させて頂きました。

車をとめられそうなスペース

【車をとめられそうなスペース】

交通アクセス

愛知環状鉄道線・貝津駅下車徒歩15

愛知環状鉄道線・貝津駅

愛知環状鉄道線・貝津駅】

まとめ

いぼ塚は、昔から上のいぼ塚下のいぼ塚とで、二つありました。

いぼ娘の上半身のいぼを紙に封じて上のいぼ塚にお納め、下半身のいぼを紙に封じてお納めたのが、下のいぼ塚…ということだそうです。そういうことから下のいぼ塚は、下伊保と呼ばれ、後に下伊保が伊保町に上伊保が保見町変更されたそうです。

興味がある方は『とよた風土記豊田市区長会発行、をご覧になられてもよいかと思います。

伊保町のいぼ塚は、下半身が担当なのでしょうか…

このことを知れば、いぼ神様に効果的にお参りできますね。皆さんも是非足を運んでみてください!

▶︎【上のいぼ塚(保見町)は、ここから

【いぼ塚】豊田市保見町

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知る人ぞ知る⁉︎生ける伝説!保見町のいぼ塚

いぼ塚に参拝して、いぼが完治した!

そんな愛知県内でもすぐ行ける、むかしばなしにある霊場を紹介

伊保小学校東門の前の田んぼ道

【伊保小学校東門の前の田んぼ道】

いぼ塚

【いぼ塚】

石碑の前の水たまり

【石碑の前の水たまり】

むかしばなし

いぼ塚

むかしむかし、ちょうど、秋の終わりのころ。

みぞれまじりの北風がピューピュー吹いている飯田街道を、

とぼとぼと歩いている、ひとりのお坊さんがおりました。

古ぼけた衣を身につけ、

見るからにみすぼらしい身なりをしていましたが、

そのなさけ深そうな顔つきや、きりっと結んだ口もとには、

どことなく気高さがあふれていました。

そのお坊さんは、伊保の村の小高い丘に

小屋を作って住むようになりました。

日中は、村から村をたくはつしてまわりながら、

病気で苦しんでいる人を見れば、

その人のためにお祈りをしました。

すると、不思議なことに、

どんな重い病気の人でもすっかり治ってしまいました。

ある夜のことです。

まっ暗な丘の上のお坊さんの家に、

そっと足音が忍びよってきました。

ともしびの下にすわっていたお坊さんは、

戸口のほうを見て、びっくりしてしまいました。

そこには、いぼがえる(ひきがえる)のような女が

首をうなだれて、しょんぼり立っていました。

顔も手も足もたいへんないぼで、

それはそれはみにくい女でした。

「何用でおいでなさったのじゃ」

と、お坊さんは、やさしくたずねました。

女は恐る恐る顔をあげて、ふるえながら答えました。

「わたしは、この村に住むいぼむすめです。

いいえ、ほんとうはこんな悲しい名前ではございません。

でも、このようにみにくい、いぼがあるために、

村の人たちから『いぼむすめ、いぼむすめ』と言われ、

ばかにされております。うわさによれば、

あなたさまはたいそう立派なお方だということ、

どうか、あなたさまのお力で治していただけたらと、

こうしてこっそり、お願いにあがりました」

女はそれだけ言うと、ふたたび顔をふせました。

お坊さんは、静かにうなずいて、

「それはお気の毒なことじゃ」

と、手を合わせて目を閉じました。

あたりには、お坊さんの祈りの声だけが響いていました。

すると、どうでしょう。

みるみるうちに、いぼむすめの顔から、

いぼが消えていくではありませんか。

女は、自分の顔に両手をあてて、飛びあがるほどに喜びました。

そんなことがあってからというもの、

村の人たちはいっそう、お坊さまを、

敬うようになりました。

月日はたち、お坊さんが村を去る日がやって来ました。

村人たちは何度も止めましたが、

お坊さんの気持ちは変わりませんでした。

村人たちは、村はずれまで見送りに行きました。

その中には、いつかのむすめの姿もありました。

お坊さんは

「わしが去っても、わしの心はいつまでも

この塚の中に宿っているのじゃ。

そして、みなさんをお助けもうすのじゃ」

と、声をはりあげて言いました。

そして、どこともなく立ち去っていきました。

その後、だれ言うともなく、

この塚を「いぼ塚」と呼ぶようになったそうです。

【『新とよたのむかしばなし ふるさとの51話その1豊田市教育委員会 文化振興課/企画・編集 2009.3 引用】

駐車場あるの?

駐車するところはありませんが、愛知環状鉄道線保見駅前の有料駐車場があります。いぼ塚は、その場所から3分位です。

愛知環状鉄道線・保見駅前の有料駐車場

愛知環状鉄道線保見駅前の有料駐車場】

保見交流館もありますが、参拝時に限り駐車させて頂けるかは、分かりませんでした。駐車する際は、施設の職員に声をかけ尋ねられたほうが、気持ち良く参拝出来ると思います。

保見交流館・豊田市保見出張所

【保見交流館・豊田市保見出張所】

交通アクセス

愛知環状鉄道線保見駅下車徒歩5

愛知環状鉄道線・保見駅

愛知環状鉄道線保見駅

二つのいぼ塚⁉︎

この地域には、いぼ塚が二つあります。むかしばなしにはありませんが民話から知ることができます。記事はこちらに▶︎【いぼ塚が二つ⁉︎

まとめ

今回、この記事をとりあげることができて嬉しく思っています。

と言いますのも、このいぼ塚にお祈りをしていぼが治った方を私は知っていて、この霊場を多くの皆さまに伝える機会をもちたいと常々思っていたからです。

話によると、当時小学生で…いつの間にか右人差し指の爪の生え際に、いぼができていたそうです。今なら皮膚科の診察を受けるところでしょうが、いぼ塚の伝説が生きるこの地域だからなのでしょう…いぼ神様にお参りしたそうです。

いぼ塚は、今は整備されたため認識されやすくなったのですが、当時はわかりづらく、伊保小学校東門の前の田んぼ道を少し進んだ辺りにある小さな木立の陰の水たまりの辺りがそう…という情報だけで、立て札などはなく石碑があったかも記憶にないそうです。

むかしばなしでは、このいぼ塚の土をいぼにつけるといぼがとれると話しが広まり、いぼに悩む人がこのいぼ塚の土をもらったとありましたが、そういう知識も持たずただ勧められてのお参りだったので、お賽銭の10円をいぼにこすりつけて、いぼ塚に納めお参りをすましたのだそうです。しかし効果は驚きのものでした。二ヶ月くらいたった頃ポロリといぼが取れ、その後あとも残らず完治したそうです。凄いですよね。もちろん私も医者の診察を勧めるひとりですが、いぼ神様にお参りもしておいた方がもっと効果があるのでは…と思っています。

皆さんも是非足を運んでみてください!以下におすすめの本と動画を紹介しますね。

『いぼ塚』お薦めの本とお気に入り動画

この動画がとても気に入ってます。面白くてわかりやすいですよ!是非、ご試聴ください。

叢書名:『新とよたのむかしばなし ふるさとの51話その1

出版年月(p数):2009.3(4p)
著者:豊田市教育委員会 文化振興課/企画・編集
出版者:豊田市教育委員会
コンテンツタイプ:電子書籍(フィックス)

豊田市中央図書館ふるさとアーカイブ

▶︎いぼ塚 (新とよたのむかしばなし ふるさとの51話 その1)

叢書名:『とよたのむかしばなし

出版年月:2002
著者:豊田市教育委員会/企画
出版者:中日映画社
コンテンツタイプ:動画コンテンツ
再生時間09:54

豊田市中央図書館ふるさとアーカイブ

▶︎【映像資料】いぼ塚 (とよたのむかしばなし)

散歩 !ぶらぶら〜

豊田市市役所HPに、ウオーキングコースがあったのでご紹介しますね。

保見の郷コース
距離:3.1キロメートル
起終点:教職員会館→馬場池
問合せ:保健部 総務課(電話 0565-34-6723)
「保見 保見の郷コース」パンフレット

ウオーキングを目的とされている方は、豊田市市役所HP《ウオーキング》に駐車場の利用に関するお願い等なども記載されているので、詳しく知りたい方は御覧下さい。